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GREETINGごあいさつ

ごあいさつ

患者様が快適な生活を送れるような、
質の高い予防と治療を提供します。

診療方針

  • 01
    分かりやすく、丁寧な説明を行い、心のこもった対応をします。
  • 02
    院内環境、診療環境の整備を心掛け、安心安全の医療を目指します。
  • 03
    医療人としての使命感、向上心を持ち、日々知識と技術の習得に努めます。

院長ごあいさつ

院長 松尾 謙一郎 Kenichiro Matsuo

院長松尾 謙一郎Kenichiro Matsuo

歯学博士
日本矯正歯科学会認定医

【院長略歴】

平成13年
神奈川歯科大学歯学部歯学科卒業
平成13年
長崎大学歯学部歯科矯正学講座 入局
平成14年
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科 歯科矯正学分野 博士課程 入学
平成18年
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科 修了 歯学博士取得
平成19年
日本矯正歯科学会認定医取得
平成20年
長崎県内歯科医院 勤務
平成24年
松尾歯科矯正歯科 開業

松尾歯科矯正歯科は伯父、松尾利郎が昭和19年、武雄町宮野町にて開業いたしました。
その後、父信正が武雄町昭和に移転し、この度、父の後を継ぎ、当地にて新しく開業させていただくことになりました。大学を卒業後は、7年間大学病院にて矯正治療を中心に診療を行い、その後、4年半長崎県内の歯科医院にて一般治療の研鑽を積んでまいりました。
歯並び、かみ合わせといった矯正治療の知識、経験が根底にありますので、ただ虫歯の歯を削って治すといった短絡的な治療ではなく、最適なかみ合わせを目標とした虫歯、差し歯、入れ歯などの治療を行うよう心掛けています。開業以来、70年近くにわたり地域に根ざした歯科医療を目指してきた伯父、父の後を受け継ぎ、歯科医療を通じて地域に貢献できるよう、努力してまいりますので、よろしくお願いいたします。予防、治療、メンテナンス等、お気軽にご相談下さい。

LIFE HISTORY院長 松尾謙一郎を
より知っていただくために

松尾謙一郎とは? 初めて語る過去から現在まで

LIFE HISTORY

子供時代のこと

私の父も歯科医師でした。小さい頃は、家の隣が診療所だったため、よく遊びに行っていました。診療室や技工室に行って色々と見て回るのが面白かったことを覚えています。
父は昭和9年生まれで、父が41歳の時に生まれた子供だったため、物心ついた時、父はイメージ的に長嶋茂雄みたいなマイペースなおじさんという感覚でした。(実際長嶋さんと1歳違い)休日になると、仕事にゴルフにテニスと殆ど家にいなかったと思いますが、よく家の前でキャッチボールをしてもらい、それが嬉しかったことを覚えています。また、父は大学時代、野球部に入っていたこともあってか、野球が好きで、高校野球、プロ野球とよく家でTV中継を見ており、その影響で私も一緒によく見るようになりました。

子供時代のこと
LIFE HISTORY

小学生時代のこと

保育園の頃からピアノを始め、小1からは書道も始め、どちらも6年生まで続けました。親から勧められて嫌々やっていたのですが、今となってはどちらもやってて良かったと思います。ピアノをやっていたせいか、手先が割と器用になったように感じ、今の仕事に役立っている気がしています。
ちょうどキャプテン翼が始まり、周りではサッカーブームが起きたのですが、あまり運動神経が無い私は、最初からプレーする方は諦め、野球もサッカーも見ることしかせず、キン消しやファミコンで遊ぶ毎日でした。体育があまり得意ではなく、運動会も嫌いだった私は、足の速い友人がとても羨ましく、ああいう風になれたらいいなとずっと思っていました。

小学生時代のこと
LIFE HISTORY

中学生時代のこと

中学生になると、何か運動系の部活をしたかった私は軟式テニス部に入りました。野球やサッカーは小学校からしている人達にはかなわないと思い、みんなが初心者から始める部活で、興味のあった部活を選びました。最初は40人ほどいた新入部員の中で、遊びでバドミントンをやっていた経験が生きたのか、奇跡的にも2番手で登録してもらい、最初の試合に出場することができました。ただ、あとは落ちる一方で3年の最後は団体戦のメンバーにも入れず、個人戦のみ出場し、不完全燃焼で終わりました。
この頃から父とあまり口をきかなくなり、反抗期の状態でした。何が嫌だったとかははっきり覚えていないのですが、父が年で、父の言うことは古いとずっと思っていました。
歯科医師にならなかったら家は出て行けとこの頃言われ、余計に反発し、歯科医師になんかなるもんかと思ったこともあります。ただ、小さい頃からずっと父を見てきて、父のような歯科医師になりたいと漠然には思っていましたが、そんな父に反抗するために歯科医師になりたいという本音を言うことはありませんでした。

中学生時代のこと
LIFE HISTORY

高校生時代のこと

希望の高校には入ったものの、地域で優秀な人達ばかり集まった中では、最初のテストで成績はクラスでも下から数えた方が早く、愕然としました。テストの際は上位100名まで名前が張り出されるのですが、何とか100名以内に入りたいと次回のテストまでは必死で勉強しました。次のテストで上位50番目くらいに成績は上がったのですが、こんなに勉強する生活を3年間も続けないといけないのかと思うと気持ちが折れてしまい、成績はすぐに落ちてしまいました。歯科医師になるという漠然とした目標はあったものの、だらだらと生活し、あっという間に3年生となりました。
また、高校に入学してからも反抗期は続き、父とはずっと話さないままでした。3年生の夏を過ぎた頃、突然父が部屋に入ってきて、「歯科医師になりたくなかったらならなくてもいいぞ。お前が進みたい道に進め」と言ってきました。
その言葉が重く響き、何か見放された気分と、本当は歯科医師になりたいと言う気持ちを素直に言えず、反抗していた自分を不甲斐なく感じながら、歯科医師になりたいと初めて素直に父に伝えました。
それからは心を入れ替え、勉強もするようになったのですが、当然現役では合格することができず、予備校に通うことになりました。

高校生時代のこと
LIFE HISTORY

浪人時代のこと

親元を離れ、北九州にて寮に入り、予備校生活が始まりました。勉強する習慣が無かった私は、とにかく継続して勉強することを心掛け、遊びもせずに毎日勉強していました。
この頃一番覚えているのがストロング金剛、もしくは魁!男塾の江田島平八のような寮監です。坊主頭で体格が良く、竹刀を持ち歩いて、何かあれば寮生をビンタするような、今考えればすごい人ですが(今でもいるのかな?)とにかく怖い寮監でした。その寮監が熱狂的なジャイアンツファンで、巨人が勝てばその日の機嫌が良く、負ければ機嫌が悪かったのですが、その年の10月8日、巨人と中日が勝った方がリーグ優勝というすごい試合に巨人が勝った日、食堂での寮生全体の自習後、寮生みんなに向かって「みんな、今日は良く頑張ったな!良く頑張った!」
とハイテンションでやってきて、なんのこっちゃと思ったことをすごく覚えています。また、その年佐賀商が初めて佐賀県勢として夏の高校野球で優勝し、全然TVが見れなかった私は何で今年に限って優勝すると?と新聞を山ほど買ったことも覚えています。 ここでの経験で、継続することの大切さを学び、継続して何かをする癖がついたと思います。

LIFE HISTORY

大学生時代のこと

神奈川県の横須賀市にある神奈川歯科大学に入った私は何だか誘われるがまま、軟式テニス部に入りました。歯科大のテニス部なんて下手くそばっかりだろうなと思っていたのですが、上手な先輩ばかりでびっくりしました。しかも皆が熱く、夏の歯学体(全国歯科学生総合体育大会)に優勝するぞ!という様な部活で、気づけば、今までの中で一番熱心に部活に励みました。テニスをするだけではなく、キャプテンとして部活をまとめたり、関東医科歯科学生大会の主管校の責任者として大会を運営したりと、貴重な体験をすることができました。また、父との関係ですが、大学に入ってからは共通の話題もでき、ある程度距離も離れたせいか、徐々に父と話すようになりました。

大学生時代のこと
LIFE HISTORY

研修医、大学院、矯正科勤務時代

大学卒業後は地元の先生とつながりを持ちたいという考えと、矯正が出来た方がいいという父の勧めもあり、また、自分自身も矯正治療に興味があったため、長崎大学の矯正科に入局しました。父は大学卒業後、そのまま大学の矯正科に入局が決まっていたようですが、武雄で歯科医院を開業していた伯父が病気で急死し、急遽武雄に戻って伯父の後を継いだため、矯正の勉強ができなかったことが残念だったと口にしていました。反抗期の頃迷惑をかけた分、何かしら親孝行したいという気持ちもありました。
大学院時代は診療と研究を両立させるよう、遅くまで大学に残る日々が続きました。また、その頃自分自身も矯正治療を始めました。私は小さい頃から反対咬合だったのですが、父が行っていた取り外し式の矯正装置を嫌がってあまりしなかった結果、気付けば反対咬合のまま30歳になろうとしていました。患者さんに矯正治療を勧める立場の人間の歯並びが悪くては患者さんに説得できないという思いが強くなり、意を決して自分も治療を始めることにしました。自分がいざ治療を受けてみると、思わぬ経験がいっぱいありました。こういうワイヤーの曲げ方だったら歯茎に当たって痛いとか、このくらいの力のかけ方だったら歯が痛むとか、ワイヤーの止め方、ブラッシングの方法など、自分が患者になることで、患者さんに適切な治療やアドバイスができるようになったと思います。
また、この頃に大学時代から吸っていたタバコも止めました。現在、禁煙して8年になります。喫煙していた頃は、患者さんに「タバコは歯周病を進行させる原因になりますよ」と自分で言っておきながら、タバコを吸う自分に後ろめたさを感じていましたが、今では歯周病とタバコの関係について堂々と説明できるようになりました。
無事に自分の矯正治療も終わり、歯学博士と日本矯正歯科学会の認定医を取得後、7年勤務した大学病院を退職しました。

研修医、大学院、矯正科勤務時代
LIFE HISTORY

一般開業医、勤務医時代

最終的には父の後を継ぐ予定でいたため、一般開業医の歯科医院へ就職し、一般歯科治療の勉強を始めました。一般歯科の治療はやったことはあるものの、専門が矯正だったため、歯科助手や歯科衛生士の方に銀歯の調整などを習うことから始まりました。もう卒業して7年も経っていれば、同級生もすでに開業している人が多く、こんな感じで大丈夫なのかなとすごく焦っていました。勤務していた歯科医院は1日100人患者さんが来るような歯科医院で、すごく治療のリズムが早く、矯正治療の治療時間に慣れていた私はかなり戸惑いもありました。矯正科ではもう中堅のポジションだったのですが、そこの歯科医院では当然1年目の新人扱いで、院長からは日々厳しく指導され、昼休みや診療後に削る練習をする日々が続きました。しかし、開業するという目標が明確になってきていたため、辛い日々も乗り越えることができました。治療ができるようになると、矯正の知識が根底にあるため、自然と最適な噛み合わせを治療ゴールとして想像し、それに向かって治療を進めるイメージが出来るようになってきました。

一般開業医、勤務医時代
LIFE HISTORY

開業してから

父が亡くなったのを機に4年半勤めた一般開業医の歯科医院を退職し、2012年11月に後を継ぎ、開業いたしました。開業に際し、私が地域に貢献できるものは何かを考えた時、また、松尾歯科矯正歯科に来院していただけたら何ができるか、松尾歯科矯正歯科にしかできないものは何かを考えた時、たどり着いたのは、専門に勉強してきた矯正治療の知識、経験があるため、 「最適な咬みあわせを目標としたむし歯、差し歯、入れ歯といった一般治療を行うことができる」
「歯並び、噛みあわせといった機能的な改善、見た目の審美的な改善を目標とした矯正治療、インプラント治療ができる」
「小さいお子さんのむし歯治療はもちろん、最適な顎の成長の誘導、歯並びの改善といった小児歯科治療ができる」
という答えです。このような歯科治療を行うべく、「患者様が快適な生活を送れるような、質の高い予防と治療を提供します。」という医院理念を掲げ、診療をスタートいたしました。
まだまだ発展途上の医院ですが、開業以来70年近くにわたり地域に根ざした歯科医療を目指してきた伯父、父の想いを受け継ぎ、歯科医療を通じて地域に貢献できるよう努力していく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。

開業してから